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発達障害を考える

前回のブログでも少し出てきた
私の発達障害について、今日はお話したいと思います。

私が発達障害と診断されたのは、実はつい最近のことです。

一番最初に違和感を感じたのは、小学3年生のときだと記憶しています。
算数の授業についていけず、担任の先生から個別指導を受けていたとき。簡単な計算なのですが、何度教えられても理解できないのです。分からないので当然間違えるのですが、それを見た先生にひどく叱られ、号泣したのを覚えています。
それは今も変わらず、簡単な足し算でも電卓が欠かせません。

学習障害と呼ばれるその特性の他には、
・忘れ物、落とし物が絶えない
・複雑な話(小説、映画含む)が理解できない
・吃音
・優先順位がつけられない
・物事の効率が悪い
などがあります。
年齢を重ねるごとに改善されるものもあれば全く変わらないものもありますが、ひとつ言えるのは、完全に直すことは難しい、ということです。

 

症状が改善しないと、大人になるにつれて生きづらさも増してきます。社会人になり、仕事を始めてもうまくいかないことが多いのです。「なぜ何度も同じ失敗をするのか」「なぜそんなに注意散漫なのか」「理解力が低いのではないか」「簡単な計算がなぜできないのか」・・・。

周りからストレートに言われなくとも、そんな風に思われている気がして申し訳なく、自分の価値を見出せなくなることもありました。その一方で理解してくれる方もいて、本当に救われたのを思い出します。

 

そんな中で、この特性をはっきりさせたい、と勇気を出して心療内科へ行きました。先生からいくつかの質問をされ、質問票に記入しました。

「発達障害(ADHD)が強く疑われます」と言う

言葉を聞いたとき、本当に安心しました。生きづらさのモヤモヤがやっと解けた気がしたのです。

 

発達障害は個性、特性という考え方はかなり浸透しつつありますが、そう考えて付き合っていくのが賢明だと私も考えています。
それは、発達障害を持つ自分を受け入れて諦めろということではありません。
そんな自分でも、認めてあげよう。と自分を許すことが大切ではないかと思うのです。
発達障害を持つ自分は、何もできない、価値がない。などと考えてしまうことが、メンタルの不調を引き起こす原因にもなり得ます。

「こんな自分なんか…」を変えて
「こんな自分でも…できるかも」に置き換えてみる。
それですぐに何かが変わるわけではないかもしれませんが、
考え方次第で、悪い面が思わぬパワーを生み出すことだってあります。

私も昔は、こんな落ちこぼれの自分が大嫌いで仕方なくそんな自信のない自分に嫌気がさしていました。
けれども今は、自分のことは好きになれないけど、それでもいいんじゃないかと思っています。
よく「自己肯定感」という言葉を耳にすることがあります。「自己肯定感」とは自分を好きになるということではなく、自分のことはキライだけれどもそれでもいいんだよ、と自分を肯定してあげることだと、私は認識しています。
そんな風に思える自分でありたいといつも思っています。

発達障害について、当事者としてお話できることはまだまだあります。

ひとりで悩まず、話してみませんか?